憲法記念日に想うこと

70年前に戦争が終わり、68年前に日本国憲法が制定されました。うちのじいちゃんの話によれば、みんな喜んでいたと話しています。

しかしながら、安倍首相をはじめ制定過程に狙いを絞った批判が目立っています。「結果よりもプロセスが大事だ」といいますが、そのプロセス(過程)は、決して制定過程だけではなく、戦後をどのように人々がその憲法によって、生活が保障され、生き抜いてきたかだと考えます。そこにアメリカによって制定されたからという理由で何が困ったというのでしょうか。戦後70年間、日本は人を殺し、殺されるという戦争の最前線に国民を送ることはできなかったんです。まだ基本的人権の尊重が不完全な事柄も少なくないですが、少しずつ運動や裁判によって改善されつつあるのが現状だと思います。だから、結果も悪くないはずです。

生活保護の制度があるから、一定のレベルの生活は保障されていると考えます。ただ、そのセーフティネットから阻害されている人もいるのは事実です。だから、いざという時のセーフティネットの充実が必要であると考える一方で、世界の貧困問題と比べると「当事者でないからわからない」と批判も受けますが、まもられている方だとも思っています。したがって、国内では、平和を阻害する要因はとても小さくなっていると捉えています。「積極的平和」は実現されつつあるんです。ただ、所得格差の拡大とともに、社会不安が高まっていることも否定できない中で、経済状況への注視は必要です。

一方で、近隣諸国では、国内の批判を抑え込むために、ナショナリズムを煽り、対日強硬策に出ている国々があります。安倍政権はそれに抗すべきと、ナショナリズムを煽り、憲法制定過程にターゲットを絞り攻撃を加えてみたり、中国や韓国脅威論を喧伝したりすることで、恐怖心、対抗心を抱かせています。

確かに、中国をはじめ目に余る行為も増えてきています。しかし、一触即発の事態を生じさせないために外交努力をしていかなければならないのに、それが生じることを歓迎するかのように、自衛隊を名実ともに軍隊へと格下げすることを本格的に始めました。

法改正も憲法改正も待たぬまま、日米ガイドラインの見直しを行い、戦争法案を8月には通すことを宣言しました。国民不在、国会軽視、憲法無視の安倍政権への批判の声は少ないです。おかしい。このままでいいのでしょうか。そんなはずはないんです。

憲法は、そもそも権力者や権力集団の暴走を防ぐための「縛り」であり、それを緩めることができるのは、国民にあることを自公連立政権は忘れてはいけません。国民の側からではなく、与党から憲法改正の動きが出てくるのがおかしいんです。そもそも憲法改正を前面に出しての総選挙が行われていません。争点を隠し、多数をとったから憲法改正をするというのはおかしいんです。憲法改正の発議を国会に与えているのが間違っているのではないかと思ってしまうほど、今の政権の横暴な振る舞いは見過ごせません。

まだまだ勉強不足、稚拙な批判や間違っている箇所もあるかもしれません。もっと学習し、経験を積み、松本しょうは、「おかしい」という想いを大切にし、生活者、働く者にとって、最適となるよう、政治・社会・政策の流れを変えていくために、日々活動していきます。

私、松本しょうは、憲法は、一言一句変えてはいけないと言う立場ではありません。もっと深化させなければいけない部分もあります。しかし、自公連立政権が行おうとする改憲は、戦争できる交戦権の復活だけでなく、人権の削減という大きな問題もあるから、反対するんです。今、一歩でも譲歩してしまえば、なし崩しに大事な部分まで変えられてしまう。だからこそ、まずは反対し、党勢を回復させ、社民党政権が実現したとき社会民主主義の理念を反映し、生活者、働く者、比べれば弱い立場の人たちに寄り添うために、はじめて踏み出す改憲であるべきと考えます。


松本しょう、クリーン政治を佐藤征治郎議員から

松本しょうは、佐藤征治郎県議が44年間貫いてきた「政治とカネ」とは無縁の「クリーンな政治」を引き継ぎます。市議会議員や県議会議員とともに、岩槻市で最大の権限を持つ市長を務めてもクリーンな政治姿勢を崩さず、市民からの厚い信頼に支えられた佐藤さん。

岩槻市は、現職の市長が2人汚職で逮捕されるという負の歴史を持っていました。地域でご挨拶させていただいていたところ「(投票した)2人も逮捕され、もうだれに投票していいのかわからなくなった。でも、佐藤さんは違った。信頼して投票させてもらえるようになった」という声を聞かせていただきました。

また、市長になっても駅頭に立ち続けたという「『謙虚さ』も見習うべきだよ」と地域の方にアドバイスいただきました。議員ましてや首長になっても「変わらなかった」というところに高い評価されていらっしゃる方がたくさんおります。「センセイになったらエラくなった」そいうった現象は岩槻だけでなく、あらゆるところで起きています。役割が与えられたら、それだけ働けるということだと思っています。

ただ唯一いただいた批判が「後継者を育てなかった」という点です。でも、大丈夫です。松本しょうは、県政でという訳にはいきませんが、市政でその政治信条を引き継いでいきます。一方で、「佐藤さんを裏切らないでください」というメッセージもいただいています。こんなにもお世話になって裏切りようもありません。そして、政治信条と共に、政治理念を共有させていただいてますので、政治家であり続ける限り、切っても切れない運命にあるんです。

まだまだ足元にも及びませんが、征治郎さんのような政治家になる。人と出会うたびにそれを感じさせてくださるんです。政治とカネとは無縁のクリーンな政治。みなさんが政治家に求めているのは、きっとこんな当たり前なことなんだと思います。というのも、松本しょうも、一人の生活者であり、働く者だからです。

埼玉松本佐藤征治郎


ご挨拶

はじめまして。松本 翔 です。

生活者の感覚で、
働く者の視点で、
比べれば弱い立場の人に寄り添う政治が信条です。

佐藤征治郎県議の
親身になって相談にのる信頼感
政治とカネに無縁の、清潔な政治

野呂たみこ市議の
福祉の現場の声を届ける使命感
気さくで明るい、やさしい政治

地縁、血縁ではなく、お二人の政治信条と地域での役割を引き継ぐさいたま市議会議員候補です。

「岩槻の声」を市政のど真ん中へ!!

リーフ


億万笑者にはならない!

RADWIMPSの「億万笑者」の個人的解釈といか意味というか。
のせてみます。少し改定してみました。

対比させたいところだけど、著作権の問題が。。

希望や夢や理想を持つから、それを見失ったり、叶わないという絶望がある。
信じなければ裏切られることもないが、信じるからこそ裏切はある。

(希望や夢や理想を持つことを捨てることができた)勇者は、捨てるというすごいこをやってのけ、傷つき打ちひしがれることは、称賛されるべきリアリストでもいうのか。
希望や夢や理想を捨てるという、リアルで充実しているといえない。

希望や夢や理想を持たぬものは、眠れない夜はない。(それらを抱くということは苦しいこと)
希望や夢や理想を持たなければ、それらを失う怖れなどない。(それらを持つことで、絶望や裏切りがある)

希望や夢や理想を持たなければ、奪われることもない。
希望や夢や理想がどうでもいいと考え、無くなってもなんても思わない、それに気づかない人から、奪うものはない。

「夢や希望や理想が実現しないからって、絶望し続けてるの?(だせー)
現実的じゃない夢や希望に何をそんなに期待しているの?」(とだれかがあざ笑う)
希望や夢をあきらめて現実的なれとでもいうの?いくら言われようと、希望や夢とか理想とか、それらをあきらめる気はない!

絶望や、裏切などのネガティブなことすべては、希望や夢や理想という喜びを得るために引き換える犠牲だ。絶望や裏切りは、喜びを生み出すためのものだ。

喜びを生み出すための夢や希望というのは、絶望や裏切りと同時にあるんだ。
今は、絶望や裏切しかないけど、希望や夢や理想にたどり着くまで。

夢や希望や理想をあきらめようとしたときに、それでいいのかと疑問を抱く。
頑張っているのに、あきらめようか思う自分が現れ、そう考える自分も嫌になる。

でもそもそも自分はどうして希望や夢や理想を抱いたのかつきつめていくと、自分がやってきたことは間違いないと正しさに気づく。
夢や希望や理想ってものは、挫折し、諦めたときに、どれほど自分にとって大切なかけがいのないものだったか知ることになる。

「夢や希望や理想を手放し、その生みの苦しみから解放されたから、新しいことが何でもできる気がする。」いや、一度諦めたら、新しくやることの意味さえわかからなくなる。

自分の中ではわかっている。苦しみや絶望や裏切りは、希望や夢や理想を実現する喜びを得るために必要なことだと。最近、希望や夢や理想を実現するために、苦しみや絶望を抱いているの?(頑張ることに億劫になっていない?)

夢や希望を追いかけるという苦しみや絶望からこの際、解放され楽になろうか。諦めようと少しは考えたんだから。

効率優先至上主義の
現在の億万笑者でも ねぇ

夢や希望や理想を諦めれて楽になろう。そうやって夢や希望や理想を追い求める人たちをあざ笑っている方になろうよ。ねぇ、諦めて、楽になりなよ。

自分一人だけ頑張ったって希望や夢や理想が実現しないと、絶望や苦しみから解放されたい自分は言う。
でも、本当に寂しいのは、自分が夢や希望や理想を描けないこと。

———————–以下、ほぼ未改定————————————-

自分がもう頑張らなくていいよってなったら、
もう苦しむことも、喜びを得ることもない。

自分が頑張るからこそ、苦しむことや喜ぶという感情の起伏があることが、
たまらなく人間らしく、かけがいのないことなんだ。

僕は、喜んだり悲しんだりすることすべてが、喜びを得るために引き換えになるものなんだと知っている。喜んだり、悲しんだりしていて、人生充実している?

ねぇどうしたの?そんなに夢や希望や理想をもって、苦しみ絶望しちゃってさ。
それが無駄で、非効率でとあざ笑われたとしても

僕は、大丈夫。もう確信している。
だって、もがき苦しめばもう少しで実現するかもしれない。
夢や希望や理想を実現させるために、もがき苦しみながらも充実した毎日の中で、笑っていたい。

僕は(億万笑者にはならない)

ここまで読んでいただきありがとうございました。

松本しょうは、億万笑者になることなく、被選挙権を行使します!
生活者の感覚で、
働く人の立場で、
比べれば弱い立場の人に寄り添う政治へ!